さてつ雑記

ゲームやガジェットなど、自分の書きたいことを書くだけのブログです。

ゲームで「練習をする」ということ

※注意
これを書いた自分は、ゲームがプロ並みに上手い、ないしプロになりたいというような向上心を持っているわけではありません。  

これはあくまでも、ただの1ユーザーの所感を述べたものであり、ゲーム文化とか初心者指導とかそういうのを大仰に述べるものでもありません。

本当に、ただ一人の、とある人間の習慣的なものを述べたものです。  

あしからず。  

 

きっかけ


最近友人と遊んでいて気になっていることがある。  
それは「ゲームで練習をすること」の意識の違い、というもの。  
  
気になったきっかけが2つある。  
NintendoSwitchを百万年遅れて買ってから、自分はほぼ毎日のようにスマブラをやっている。

元々コンシューマーゲームからかなり長い間身を遠ざけていたのだが、スマブラ自体はGCWiiと遊んでいた。

そして自分はGCの頃からトレーニングモードで遊ぶのが好きだった。

最近になって気がついたのだが、どうやらトレモで遊ぶというのは自分の周りの人間からすると割と「ガチ勢」の気が強いらしい。

自分としては手慰みにゲームで遊んでいるという感覚しかないのだが、どうやらそうではないようだ。

これが1つ目のきっかけ、「トレモ=ガチ勢事件」である。

 

そして2つ目は、対戦中に負けている友人が漏らした、

「ゲームで練習なんかしたくないよ」

という一言。

これに関しては正直、「まぁ、そうだろうな」の一言である。

だって、ゲームですよ。楽しさを求めているのにわざわざキャラクターごとのコンボ覚えたり、確定帯覚えたりなんて、自分もしちめんどくさくてやってられんですよ。

ここで「いや、それこそが楽しいんだろう」と思った人は、それも正しい(正確には正しさなんてものはないと思いますが)。

だって、人によって何が面白いかなんて違うし。

 

この記事で重要になってくるのは「楽しさ」を感じる方向性の違い。

これが割と亀裂の原因になったりするのだろうなぁ、ということを考えたので思うことを適当に書きなぐっていきます。

前提として──ゲームが上手くなりやすい人について

自分は基本的に、ゲームが上手くなりやすい人は3つに分類できると思っている。

 

まず、「純粋にそのゲームが楽しくてたまらないタイプ」

これはもう最強といっても過言ではない。傍から見て苦行とも言えるようなものを嬉々としてこなせる時点でスタートラインが違う。

負けても楽しいし、勝っても楽しい。ずっとやり続けられるから腕も上がっていく。

ゲームとの親和性が高い人は上手くなりやすいのだろうな、と思う。

 

次に、「ゲームを楽しむために、練習をするタイプ」

これは先程と違い、ゲームとの親和性がそこまで高くなくとも、自分がゲームを楽しむためにある程度のレベルまで練習をするタイプ。

このタイプはそのゲームにおける「基礎」とも呼べる技術をしっかりと練習するタイプなので、中級者に早い段階でたどり着けるかな、と思う。

そして中級者から先は、「これができたら楽しいだろうな」と思って練習をしていく。

結果、上手くなりやすい。

 

最後に、「憧れがとまらないメイドインアビスタイプ」

これは自分の技量云々よりも、とにかく動画で見たプロプレイヤーのようになりたいと練習するタイプ。

挫折の可能性もあるが、本当に動画で見たプロプレイヤー並みに上手くなる可能性もある。

これは理屈とかそういうものではない。憧れは、ただそこにあるだけで手を伸ばしたくなるものなのだから。

 

3つのタイプを挙げたが、どれも基本的に「ゲームで練習をしている」か、「ゲームを遊んでいる過程で練習をしている」。

これに当てはまらない人はゲームが下手かというと、それは全く違う。練習をしなくても上手い人はたくさんいる。

ただ、「上手くなりやすいかどうか」の軸でいえば、上に挙げた3つのタイプの人は間違いなく「上手くなりやすい」人であるはずだ。

当てはまらない人は必ずしもそうであるとは言えないが、「ゲームを遊ぶこと=作品としての魅力を味わいたい」より、「ゲームで遊ぶこと=ゲームを媒介として、友人と楽しく遊ぶこと」を目的としている節があるのではないかと思う。

これがそもそもの「楽しさ」を感じる方向性の違いである。

友人が言っていた「ゲームで練習なんかしたくないよ」という一言は、後者の目的を果たせないために発せられたものなのではないだろうか。

 

これは正しい。自分も何も言わない。

というか、その目的を他人がへし折ることなんて言語道断だ。だって、友人と遊びたいんだもの。一人でちまちま練習なんてしてらんないよなぁ!?

楽しむためにはどうすればいいの?

でも。

でも、ですよ。

ここで、ゲームで遊びたいタイプの人間から「どうしたら上手くなるの?」という言葉が発せられた瞬間、事態は混迷を極めることにならないですか?

だって、「自分の目指している場所と関係のない場所に行くにはどうしたらいいですか」と言われているのだ。

これは非常に難しい問題じゃなかろうか。

スマブラを例に挙げると、自分は「攻撃に割く頭のメモリのリソースを減らす」ことが上手くなることへの一歩だと思っている。

これは格ゲーとかのプロプレイヤーが色々なところで言っていることである。

理由は単純。

スマブラとかのアクションゲームにおいて、「攻撃をする」という行為のために思考することは、それだけで「相手に一歩遅れを取ること」につながるから。

「スマッシュ攻撃を打つためには」とか、「空中のあの位置にいる相手に空前を当てるためには」とかを考えていたら、あんな動きも状況の変化も早いゲームで追いつけっこない。

「思考する前に打つ」。これができれば、単純に相手の一歩先を行く可能性が高くなるのだから強くなる。

これができてから、堅い立ち回りとかそういった防御面を考えればいいのだ。

 

では、思考する前に打てるようになるにはどうすればいいか。

これは「試行回数を重ねる」に尽きるのではなかろうか。

いくらフレーム表を見たところで、そんなものは役に立たないだろう。余計に思考する時間が長くなるだけだ。

攻撃を当てたいのなら、とにかく打つ。打って痛い目を見てもいい。痛い目を見たのなら次にそうしなければいい。

それを繰り返すことで「この位置ならこれがベストだ」とか、「ここでは打っちゃだめだ」とかが分かってくるのではないだろうか。

でも、これには相応の負けがついてくる。友達に負け続けるのは悔しい、面白くない。

 

「なら、トレーニングモードでCPUをボコボコにしてみるのはどう?」
「そうか、それなら悔しくないし、やってみるかな」

 

そう言ってもらえたのなら、これで解決である。

でも大抵はそうじゃない。

「このゲームは向いていない」とか「CPUを相手にしても面白くない」とか色々な思いがある。それを元にして「練習はつまらない」という感情が生まれているのだから。

そうなると、トレモで遊ぶ(教える)側からすると相手を主体にした打つ手はない。自分がハンデをつけるしかないのである。でも人によってはそれも嫌う場合がある。

そうなった場合はもうルールそのものを変えるか、「別ゲーやろうか」になる。

 

これはもう仕方がないだろう。
本当に、万策尽きた。
──でも、本当にそうなの?

 

「トレモガチ勢」の思う、練習の面白さ


ここで全部諦めたら、それはもうこれを書いている意味がない。チラシの裏にでも書いておけ、という話だ。

なので、ここはあえて自分が練習を楽しいと思う理由について話してみようと思う。

別にこれを見たからって練習をしたいと思うようになるとは思わない。

でも、そういう考えもあるのだと知ってほしい。そしたらほら、何かの間違いでやってみることがあるかもしれないしね?

 

「前提」にて、ゲームが上手くなりやすいタイプを3つ挙げた。

自分はこの3つの中で言うと「ゲームを楽しむために、練習をするタイプ」である。

自分は全くの初心者ではないので、トレモでは「こういうことができたら面白いだろうなぁ」というものを練習したり、「面白くなりそうなもの」を探したりする。

フレーム表を見ることはたまにあるけれど、別にキャラごとにすごい対策とか立てているわけじゃない。

練習をすることによって得られる楽しさをいくつか挙げると、

* プレイ(ゲーム)の楽しみ方が広がる

* 前まで出来なかったことが出来るようになったときの嬉しさ

* ゲームを開拓している楽しさがある

*暇つぶしになる

などがある。

楽しみ方は人それぞれであるが、自分はこんな感じだ。

トレモ中はずっとスマブラしか見ていないわけではなく、むしろ動画を見ながらやることが常だ。

飽きたらやめるし、一つのコンボに固執するわけでもない。出来たらいいな、くらい。

 

トレモを触らない人からすると、練習という言葉自体が良くないのかもしれない。

練習とは、決まりきったことを淡々と繰り返すことだけじゃない。

自分の好きなキャラを、いいなと思ったキャラを自分の思い通りに動かす楽しさも、友人と遊んでいる時間も言い換えれば練習になるのではないだろうか。

ゲームは楽しんだもん勝ちです

以上が自分の考えたことだ。

やらない人に無理やりやらせることは、それだけで罪だ。

なので茶道部が新人勧誘のときにちょいちょいと茶菓子を見せつけるかのごとく、魅力を話してみるだけにした。

この手の「エンジョイ勢とガチ勢」の対立はもう何万回と色々なところで繰り広げられる話だが、一度自分で考えていたことを文章にすると割とスッキリする。

色々書いたが、結局の所、ゲームはルールを守ったなかで楽しんだもん勝ちです。

自分で折り合いをつけていこう。